裏社会から一夜にして億万長者——成功と危うさの狭間

「しょせん人殺しても少年Aや!」

12歳の私の口癖でした。
児童養護施設から戻り、近所の同和地区の4人の”兄弟”と出会って、私たちは徹底的に”悪”の道を突き進んでいきました。

夜な夜な5人で集まっては、
「今日は何を盗る?」
「誰にケンカ売る?」
という相談ばかり。

スーパーやコンビニを荒らすのは当たり前。
盗んだ原チャリやバイクを改造して走り回り、
ヤクザや暴走族から金を奪い、
時には拳銃を手に入れたことさえありました。

同級生の女の子をそそのかして売春させたり、
薬の売買にも手を染めたり…

想像できる限りの犯罪を、私たちはし尽くしていました。

中学3年になる頃には、押し入れが札束でパンパンに。
子どもの身分でありながら、2千万近い大金が転がっていたんです。

心のどこかで「これはヤバい状況なんじゃ…」と思う自分もいました。
でも、止められる大人なんて誰一人いない。
だからこそ余計に暴走していったのです。

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15歳、驚愕の”直談判”

地元で”最低偏差値”の高校に入学しましたが、勉強する気なんてありません。
最初から校長先生に”ある交渉”をしに行きました。

「これ、3年分の学費とちょっとしたお礼ですわ。 海外に行くんで、途中で死ぬかもしれん。 でも無事に帰ってきたら、卒業だけはさせてください」

現金をドサッと積まれた机を見た校長が、
しばらくの沈黙のあと無言でうなずいた光景を、今でも覚えています。

これで「留年なし、退学なし、3年後の卒業証書だけ約束」という奇妙な契約が成立。
自分でも「どこまで歪んどんねん」と思いつつ、16歳で飛行機に乗りました。

16歳、世界46カ国への逃避行

英語は挨拶程度しか知りません。

タクシーの運転手に「ニューヨーク!GO! GO!」と勢いだけで街の中心に降ろしてもらい、
そこからはバックパッカーとして旅を始めました。

命の危険を感じたのは一度や二度ではありません。
タイからカンボジアに旅していた際、10日間飲まず食わずでひたすら国道を歩いたときもありました。

脱水症状で死にかけて道端に倒れているところを現地の方に救ってもらったこともありました。

帰国のたびに地元の兄弟たちと合流しては、裏社会の仕事で金を稼ぎました。

「ヤクザも警察も怖ないわ」

と豪語する姿は、ただの虚勢だったのかもしれません。
それでも私たちは5人で協力し、大金を手にしてきました。

心の奥に潜む空虚

表面上は “成功” していました。
大金を稼ぎ、世界中を放浪し、誰も真似できない “自由” を手に入れた。

でも、心の奥底では常に虚しさを感じていました。

なぜなら、これは本当の意味での “成功” ではないことを、
どこかで分かっていたからです。

「俺たちの築いてるもんって、結局、砂上の楼閣なんじゃないか…」

その予感は、やがて現実となって私たちを襲います。


次回は「非行・海外放浪、そしてビジネス成功?(後編)」。
19歳で経験した、人生最大の転落と喪失について。
そして、それが私に教えてくれた本当の意味を、お話しします。

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