「おかんに捨てられたんやろ?」
施設に来て早々、そんな言葉が耳に入ってきました。
子どもたちの噂は怖いくらい早い。施設だけでなく、学校でもあっという間に広まり、いじめや暴力まで始まりました。
心が壊れそうになった。
全部おかんのせいだ
そう思わずにはいられませんでした。
でも、そんな私を救ってくれる存在がいました。
私には家の近所に同和地区の友達が4人いて、私を合わせて5人グループを”兄弟”みたいに呼び合っていたんです。
彼らは、私が施設に入ったと知っても、決して私をバカにしませんでした。
「俺らは兄弟みたいなもんや! 誰かになんかあつたら、みんなで守るんや!」
彼らはそう豪語し、実際に学校のいじめっ子や施設の上級生とケンカして、私を守ってくれました。
場合によっては向こうに詫びを入れさせることさえしてくれた。
昼間は兄弟たちのおかげで笑っていられても、夜になると全てが変わります。
施設の2段ベッドに横になり、窓の向こうに浮かぶ月を見つめると、強烈な孤独感が私を襲ってきました。
「ああ、捨てられたんや」
「おかんに裏切られたんや」
という現実が容赦なく押し寄せてくる。
眠る前の暗闇で、私は必死に涙をこらえようとしました。
だけど、心の奥底で渦巻く悲しみは、そんな我慢を簡単に突き破ってしまう。
涙が止まらなくて、枕をぎゅっと噛んで声を殺し、ふとんの中で震えました。
万博で見たあのおかんの笑顔は、いったい何だったんだろう。
どうしてわずか2週間でこれほどひどい現実に変わってしまうのか。
答えなんて分からない。ただ、7歳の私には大人の事情なんて知る由もありませんでした。
そして、数年後におかんが”まともな職”を得たからと施設から私を引き取ることになります。
でも、そのときの私は「今さらなんやねん」としか感じられませんでした。
たった一度の笑顔と夢を与えてくれた人が、同じように私をあっさり置き去りにした。
もう誰も信じられない。
おかんも、他の大人も、全部嘘っぱちや。
そう思うようになり、私は固く心を閉ざしていきました。

それでも、”兄弟”たちの存在があったから、私は完全に壊れずにいられました。
昼間は彼らが笑わせてくれたから、なんとか生きていけた。
夜ごとに繰り返す孤独感は、私自身が抱えるどうしようもない痛みでしたが、少なくとも「自分は一人じゃない」という事実が、心のどこかを支えていました。
夜が明ければまた、兄弟たちが
「おはよう! 今日は何したろか?」
と声をかけてくれる。
それを心の支えにして、また一日が始まる。
言葉では言い表せないほど心がしんどいけれど、あの4人と笑い合う時間だけは、私にとってかけがえのない救いでした。
あのころの私を支えてくれたのは、
裏切られた経験と、それを埋めるようにしてくれた”兄弟”たち。
そして、夜に見上げる月の光が、どこか淡くもやさしく感じられたのを今でも思い出します。
施設での生活は苦しかったし、「おかんに捨てられた」という痛みは簡単に消えてくれませんでした。
それでも、ほんの少しだけ前を向いて生きようと思えたのは、兄弟たちのおかげでした。
昼間は一緒に笑い、夜は涙をこらえる。
それが、7歳の私の精一杯の生き方だったんです。
次回は「小学生高学年、悪の入り口」について。
なぜ私たちは”少年A”への道を選んでしまったのか。
そして、その選択が何をもたらしたのか。
赤裸々にお話ししていきます。