「もう終わりや」と思ったその瞬間に、本当の人生は始まる。
「この世の中はすべて逆」。この一言が、俺の過去をまるごと揺さぶった。
7歳で母に捨てられた児童養護施設の冷たいベッド、
非行に走った中学時代、200億円企業の破綻と50億円の罰金、
そして“ステージ4”のがん宣告——どれもが「もう終わりや」と思った瞬間や。
けど、その「終わり」から何度でも立ち上がってきた。
なぜか? それは“逆”の見方を手に入れたから。
絶望があったからこそ、希望の意味が分かった。
すべてを失ったからこそ、自分の本当の価値が見えた。
死と向き合ったからこそ、「どう生きるか」に腹を決めた。
この物語は、光の裏側にある“闇”から始まる。
だが、読んでくれたあなたが「逆」からの見方を手にすれば、
きっと、どんな過去でも“人生の力”に変えられると信じてる。
俺の人生はその証明や。
そして、これはあなたの人生にも“逆転”の道があることを示すリードや。
最後の一言:
「終わった」と感じたその場所から、人生は生まれ直せる。——これは希望ではなく、“実話”だ。
【行動指針】
▶ 本文を読む前に、自分の中の「もう無理やと思った瞬間」を一つ、思い出してみてください。
その記憶が、読み進める中で新しい意味に変わっていきます。
「逆」を知る者だけが見える、新たな世界の扉
「この世の中は全て逆なんです」
このフレーズに出会ったとき、私は自分自身の人生がフラッシュバックのように脳裏を駆け巡るのを感じました。
7歳の時、母から児童養護施設に置き去りにされた瞬間。
中学時代に「しょせん人殺しても少年A」と口にしていた頃。
200億円規模の事業を築き上げ、一夜にして50億円の負債を背負った日。
そして「ステージ4の大腸がん」と宣告された、あの震える手の感触。
私がこれまで何度も「終わりだ」と思った人生の節目で、必ず現れたのは「逆」の発想でした。
「逆」とは何か?それは常識や固定観念を180度ひっくり返したときに見える、もう一つの真実です。私たちが当たり前だと思い込んでいる見方を変えたとき、全く新しい世界が広がるのです。
人生を輝かせる5つのルール
長い人生の浮き沈みを経験する中で、私は「人生に輝きを見つけてその輝きを生かす5つの小さなルール」に気づきました。
1. 欲しいものを追いかけること
「ある人は欲しいものを見て、ある人は欲しいものを手に入れるのを妨げるものを見ている」
これは私が実際に経験した出来事から得た気づきです。
例えば、誰かと一緒に行ったレストランで、私は美味しい料理を目指して並ぶのに躊躇いがなかったのに対し、友人は長い列を見て「無理だ」と諦めていました。私には料理しか見えておらず、友人には長い列しか見えていなかったのです。
これは私が児童養護施設を出た後、中学生時代に盗みや犯罪に走った原点でもあります。私は「欲しいもの」だけを見て、その先にある「破滅」という代償を見ていませんでした。
逆に、がん宣告を受けた後に心理カウンセラーとして再出発した時は、「死の淵」という障害しか見えない状況から、「残された時間で何ができるか」という欲しいものに視点を変えることができました。
人生の転機は、いつも「何を見るか」の選択にかかっていたのです。
2. 問題は自分自身かもしれないと認識すること
歴史上の教訓として私がよく思い出すのは、医師たちが手を洗わなかったために多くの産婦が命を落とした産褥熱の悲劇です。長い間、医師たちは「自分たちが問題の原因」だとは認めず、多くの命が失われました。
私も50億円の負債を背負った時、スタッフの裏切りを恨み、怒りに身を任せました。しかし本当の問題は、急成長するビジネスの中で「監督責任」を果たさなかった自分自身にあったのです。
「他人のせい」にしている限り、再出発はできません。私が再び立ち上がれたのは、ようやく「自分が問題だった」と認められた時だけでした。
3. 助け合うこと
私が軍事や格闘技の世界に触れて学んだことの一つは、真に強い人間とは、究極の苦境の中でも「隣の人を助けようとするエネルギーを見つけられる人」だということです。
筋肉ムキムキのタフな人や、頭の良い人が必ずしも生き残るわけではない。極限状態でも他者を気遣える人こそが真の強さを持っているのです。
私の人生の中で最も価値あるターニングポイントは、自分の痛みが「誰かを助ける力」に変わると気づいた瞬間でした。亡き母への怒り、中学時代の兄弟たちの死、大腸がんの苦しみ—それらは今、カウンセリングの場で誰かの心に寄り添う力となっています。
助け合うことは、単なる美徳ではなく、生き延びるための本能なのかもしれません。
4. 最後に話すこと(聞くことを優先する)
偉大なリーダーから学んだ最も重要な教訓の一つは、「常に輪になって話し合い、自分は最後に発言する」という原則です。
若い頃の私は、自分の意見を押し通すことしか知りませんでした。家族を失い、母親を死に至らせ、仲間を失ったのも、すべて「最初に話し、最後まで聞かない」私の姿勢が招いた結果だったのかもしれません。
心理カウンセラーとなった今、私は「聞く力」こそが人の心を開く鍵だと日々実感しています。かつての自分が最も欠いていたのは、この「聞く力」だったのです。
5. 謙虚であること
ビジネスの世界で私が目の当たりにした教訓として、ある高級ホテルの元社長の話があります。彼は現役時代、最高級のコーヒーカップでサービスを受けていましたが、退任後は発泡スチロールのカップで自分でコーヒーを注ぐことになりました。
彼はこう悟ったのです。「磁器のカップは私のためのものではなく、私のポジションのためのものだった。私の価値は常に発泡スチロールのカップなのだ」と。
私も200億円規模の事業を動かしていた頃、すっかり「自分の価値」と「ポジションの価値」を混同していました。一夜にして50億円の負債を負い、すべてを失った時、初めて「自分の本当の価値」と向き合うことになったのです。
真の価値は「発泡スチロールのカップ」のように質素なものなのかもしれません。私が真に人の役に立てるようになったのは、華やかな成功ではなく、すべてを失った「発泡スチロールのカップ」状態になってからでした。
「有限のゲーム」と「無限のゲーム」の狭間で
人生を理解する上で最も重要な概念の一つが、「有限のゲーム」と「無限のゲーム」の違いです。
「有限のゲーム」とは、決められたルールの中で勝ち負けが明確で、始まりと終わりのあるゲームです。例えばサッカーや野球などのスポーツがこれにあたります。
一方「無限のゲーム」は、プレイヤーが入れ替わり、ルールも変化し、目的はただゲームをできるだけ長く続けることにあります。ビジネスや教育、人生そのものがこれにあたります。
私の人生は、まさにこの二つのゲームの狭間で振り子のように揺れ動いてきました。
「少年A」として非行に走っていた頃も、200億円のビジネスを築いていた頃も、私は「1番になる」「競争に勝つ」という「有限のゲーム」の思考に囚われていました。
一方、末期がんを乗り越え、心理カウンセラーとして人の心に寄り添う現在は、「ゲームを続ける」ことそのものに意味を見出しています。一人でも多くの人が「何度でもやり直せる」と信じられるよう、自分の体験を分かち合うことに喜びを感じる日々。
これこそが「無限のゲーム」の思考なのでしょう。
「なぜ」から始まる思考 — 自分の「なぜ」を知る力
私が長年のビジネス経験と心理学の学びから得た最も重要な洞察の一つは、コミュニケーションや意思決定において「なぜ、どのように、何を」の順序が決定的に重要だということです。
多くの人や組織は「何をするか」から始めます。「私たちは素晴らしい製品を作っています」「この政策を実行します」といった具合に。
しかし、真に人の心を動かし、変革を起こす人や組織は「なぜそれをするのか」から始めるのです。
これは私の人生の転機とも深く関わっています。
かつての私は「何をするか」(成功する、お金を稼ぐ)ばかりに執着し、「なぜそれをするのか」という根本的な問いを無視してきました。だからこそ、成功しても空虚さから逃れられなかったのです。
がんを経験し、死と向き合った後、私は初めて自分自身の「なぜ」と向き合いました。
「なぜ私は生き延びたのか」
「なぜこれほどの苦難を経験したのか」
その答えが、今の私の活動の原点です。苦しむ人々の心に寄り添い、「もう終わりだと思っていた人生は、何度でも再出発できる」ということを伝えたい——それが私の「なぜ」です。
「逆」から見える、本当の人生の意味
「この世の中は全て逆」という真髄は、私たちが当たり前だと思っている見方を180度変えたときに、本当の可能性が見えてくるという真理です。
- 「少年A」で終わるはずだった私が、カウンセラーになった
- 大金を失った「破産者」だった私が、心の豊かさを見出した
- 「末期がん」という死の宣告が、真の「生き方」を教えてくれた
すべては「逆」から見ることで、新たな景色が広がっていくのです。
私は長年の経験から「リーダー」と「導く人」は全く別物だと確信しています。リーダーは権力や権威を持つ人ですが、「導く人」は人々に影響を与える人です。
かつての私は「リーダー」になりたかった。権力、名声、富——それらは確かに手に入れました。しかし本当の満足は得られませんでした。
今の私は、ただ「導く人」でありたいと願っています。肩書や地位ではなく、自分の経験と痛みを通して、誰かの人生に小さな光を灯すことができればと思うのです。
最後に:逆境こそが人生を輝かせる
「この世の中は全て逆」という私の信念は、波乱万丈の人生を経て得た確信です。
7歳で母に捨てられ、非行少年となり、大金を手に入れては失い、末期がんと闘ってきた私だからこそ言えることがあります。
人生の底辺を知らなければ、頂上の景色も本当には分からない。
絶望の淵に立ったからこそ、希望の尊さを感じられる。
すべてを失ったからこそ、本当に大切なものが見えてくる。
あなたが今、どんな状況にあるとしても——それは「逆」から見れば、まったく違う景色になるかもしれません。そしてその「逆転の発想」こそが、あなたの人生を根本から変える鍵になるのです。
私はこれからも、「逆」を生きる者として、その可能性を伝え続けていきたいと思います。
なぜなら、「もう終わりだと思っていた人生は、何度でも再出発できる」——それが私の人生が証明してきた真実だからです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この記事があなたの心に少しでも響いたなら、それは私の喜びです。
皆さまの人生が、「逆」からの視点で新たな輝きを見出せますように。
堂本晃聖